ロサ・ケンテフォリア・プロリフェラ・
フォリアケア
Rosa Centifolia prolifera foliacea
ボタニカル・アート(植物画)の天才画家
ピエール・ルドゥーテ
(Pierre-Joseph Redoute)の
「バラ図譜」より。
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ナポレオン皇帝の后、ジョセフィーヌ皇后は、「バラの母」とも呼ばれ、バラの花に対する情熱は相当なものでした。ナポレオンが戦争中の敵国からもバラの苗を収集し、ヨーロッパのみならず、日本や中国など世界中から原種バラの収集をし、その数は250種ともいわれています。
こうして世界中から集められたバラは、ジョセフィーヌの園芸家たちによって、マルメゾン宮殿の庭に植栽されていきました。
そのうちの園芸家の1人、アンドレ・デュポン(Andre Dupont)により、人工授粉による育種の技術が確立され、後の四季咲きバラの品種改良に多大な影響を与えました。
さらにジョセフィーヌはバラの品種の記録も忘れることなく、天才画家 ピエール・ルドゥーテ(Pierre-Joseph Redoute)に命じて、多くのバラの絵を残しました。
左の絵画は、バラ等に時おり現れる「貫生」という現象(突然変異)で、花の中からまた、つぼみが出て咲いていくという珍しい咲き方の形態です。バラの他にも菊やカーネーションでも見られるそうです。
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